スミタス小説「中古の私が売れるまで(20)最終回」

中古住宅が売買されるまでには、いくつもの物語があります。売主、買主家族、不動産業者などの売買に関わる人たちには生活があり、人生があり、考えも思いもさまざま。
そして、もし“家”そのものにも感情があって思いがあるとしたら?
“家”はどんな思いで自分が売買されていくのを見つめているのでしょう。
そんな“家”の視点から見た中古住宅売買の物語もいよいよ最終回。
主人公は、家主の高齢化により売りに出されることに決まった“家”こと私。築37年、人間でいえばアラフォーの“私”を魅力的な商品として売り出すため、家主夫婦は数々の困難を乗り越え、理想的な形で買主に“私”を買い取ってもらうことができました。
売主夫婦が高齢者向けマンションへと引っ越していき、“私”は建物診断を経て計画されたリフォームを施されていきます。“見た目”にはそこそこの自信があった私ですが、見ただけではわからない損傷箇所が見つかり、じっくり時間をかけて修繕して生まれ変わることに。
買主側にも理想の家づくりのためには予算との兼ね合いで葛藤や迷いがあり、一難去ってはまた一難。一つずつ夫婦で話し合いながら問題をクリアにしていき、買主家族と一緒に暮らす日も間近のようです。
(最終回)“私”の晴れの日

もう間も無く“私”のすべてのリフォームが終わる。
明日からはいよいよ、買主夫婦が“私”に移り住むことになっている。
外観やインテリアの雰囲気がすっかり変わったのはもちろん、かつて主寝室だった部屋が猫たちの専用部屋に、リビング隣の和室はフラワーアレンジメントのお仕事をしている奥さんの仕事スペースに、男の子たちの子供部屋だった部屋をご主人の書斎に、といった具合に部屋の使い方もずいぶん変わるみたい。きっと買主夫婦の生活がスタートするとこれまでの暮らしとは一変するんだろうなぁ、と買主夫婦が越してくるのをまっさらな気持ちで楽しみにしている。
一方で、カエデの木やダイニングテーブル、売主夫婦が大切にしてきたものをいくつか残してくれたことで、一緒に過ごしてきた仲間と過ごせる安心感もある。私自身を含め、モノとして残してくれたことが有難いのはもちろん、40年近く共に暮らしてきた売主夫婦の気持ちを受け継いでいこうとしてくれたことが、私にとっては何より嬉しい。
そもそも私は売主夫婦が「自分たちの家を建てよう」と決めていなければ、存在もしていないんだものね。いつか手放されてしまうのは仕方がないことだとして、そこからずっと売れ残ってしまう家もあれば、取り壊されてしまう家だってある。売主夫婦との別れはとっても寂しかったし、売りに出されると決まってからきょうまで「どうなっちゃうの?」ということばかりではあったけれど、こうして無事に明日を待つだけとなった今では、すべて「良い経験だったなぁ」と思える。
女の人がお嫁に行く前日の気持ちってこんな感じなのかしらね。

ゆっくりと玄関の鍵を回す音が聞こえた。
家具はあらかた搬入済みだけれど、細かいものはきょう運ばれてくるらしく、エプロン姿の奥さんと軍手をはめたご主人は、家に入るなりさっそくあれこれ打ち合わせをしている。
少しすると、引越しを手伝いにきた夫婦の友人たちが訪れた。
昼過ぎになり、少しずつ片付いてきた家の中で夫婦や友人たちがテーブルを囲む。
友人の1人にダイニングテーブルのデザインを褒められて、奥さんが自慢げに売主夫婦から譲り受けたものだと話す。
「へぇ…。中古っていうからどんな家なんだろうって思ってたけど、こんな風に自分好みにリフォームもできたらほとんど新築みたいに見えるし、売主さんとのそんな素敵なエピソードもあるなんてなんかいいわねぇ」
「そうね、メリットばかりとは言えないけれど、それでもやっぱり私たちは中古住宅、というかこの家を選んでよかったなぁって思う」
奥さんと友人がそんな会話をしていると、チャイムがなった。
応じたご主人が花束を抱えて駆け足気味に戻って来る。
「売主ご夫婦からだよ」
「まぁ」
奥さんが興味津々の様子で花束の中をのぞく。
「メッセージカードが二つあるわね。“新居へのお引越しおめでとうございます“。これは私たち2人へのメッセージかな。それからもう一つ“私たちにたくさんの思い出をありがとう。大切に住んでもらってくださいね。お幸せにね”。これはきっと“あなた”宛てね。安心してね。大切に暮らすから」
「今日からよろしくな」
2人はそこにいる誰ともなく、柱に向かって、おそらくは“私”に向かって言った。
“こちらこそ、末永くよろしくお願いいたします”。心の中でしっかり返事をした。(完)